桶狭間古戦場跡地 豊明市伝説地あたり その弐
豊明市桶狭間古戦場伝説地のおさんぽ その弐
お散歩の続きを早速まいります。
高徳院を出発して坂道をひたすら登っていきました。
運動不足にはこたえる緩やかに長く続く坂道ー。
近所のかたに次の史跡の場所を訪ねるけれども皆さん知らないようで、無事にたどり着けるのか不安でした。
しばらく登って坂道が終わり郵便局もこえてもうしばらくいくと、こんな電柱がみえました。
すぐそこ、らしいので迷いつつ公園に近寄ってみますと・・・。
豊明市桶狭間古戦場伝説地 鷺之森石碑
本当にありましたー。
そして想像よりめちゃ小さい・・・。
この碑を作ったのもやはり山口正義氏だそうです。
織田信長公が熱田神宮で戦勝祈願をしたところ、白鷲が二羽社殿より飛び立ち、今川義元公の休憩していた場所近くの森に舞い降りたそうです。
桶狭間の合戦が戦勝したことにより建てられたのが、熱田神宮にあります信長塀なんだそうです。
熱田神宮は白鳥伝説の場所ですから、なんだかドキドキしてしまうしょうな伝説です。
次におとずれたのは。。。。
豊明市桶狭間古戦場伝説地 よろいかけの松の旧地の石碑
名鉄中京競馬場前駅の南口出口近くにあります、有料駐車場からみれました。
ここも到着まで迷いまして・・まさか止めてあった駐車場から見れたとは・・・。
駐車場ですから車にお気を付けください。
ですが、国道一号線からも見る事が実はできました。すこし遠いですがそのほうが安全ですね。
織田信長公の鎧かけ言われているようですが、私が資料を探していると大正時代の絵葉書に今川義元公の鎧がけの松というのを発見しまして、もう混乱しかない状態です。
続きましてはこちらへ移動しました。
豊明市桶狭間古戦場伝説地 釜ヶ谷
善照寺砦に千の兵を残し、旗をいっぱい掲げさせてまるで本陣がここであるように見せかけた信長公は、残り二千の兵を率いてこの釜ケ谷までやってきました。
おけはざま山からは晴天でしたら二千の兵が移動するのはきっと丸見えだったのではないかと思います、ところが・・・雷雨が激しく降り注いでいたらしく、馬のヒヅメの音もかき消されたのでしょう。
そこからは今川本陣に突撃ということになります。
その際に織田軍がかけあがった場所が、、、、。
豊明市桶狭間古戦場伝説地 信長坂
現在では名古屋短期大学、桜花学園大学の敷地内となっています。
私はどうしてもこの坂にのぼりたくて、平日に連絡をとり、お願いして撮影許可とともにお願いしておりました。
快く快諾くださり、この場所に来ることができました。
ありがたい限りです。
さて、今回の旅のメインイベントです。
ゆっくりと登ってみました。
感無量です。はぁ・・・幸せです。
この後、今川義元公が討たれ、今川軍は鳴海城も調略され大高城からも逃げ出すことになったのですね。世紀の逆転劇の場所だとやはりおもわれますね。
今回のお散歩、とても大満足でした。
動画のほうではグルメも回っておりますので、よかったら見てやってください。
【 信長坂 】信長が奇襲で駆け上がったと言われる坂。その他史跡をお散歩!【桶狭間合戦地その2】