桶狭間古戦場公園周辺のお散歩
初めましてのごあいさつ
私日本史好きのたぬきと申します。
いろいろな歴史的な場所や、史跡などをブログと動画で紹介していきます。
私は日本史が好きなのですが、とても詳しいわけではなく、史跡を「お散歩」という軽い心意気で散策してみることによって空っぽの私の頭の中に少しでも先人たちの素晴らしい生きざまや知恵を勉強させていただこうと企み始めてみようと思っております。
どうぞ、宜しくお願いいたします。
初めてのお散歩★
さて、最初のお散歩に選んだのは私が大好きな戦国武将、織田信長さんが一躍全国にその名を轟かせた桶狭間の合戦跡地に行こうと決めたのでした。
私は東海地方に住んでいるのですが、愛知県という場所は三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)が生誕した場所なのですが、あんがい愛知県のひとでもあまり興味のない人が多い印象で驚かせられます。
私が熱く語ろうもんなら変態扱いを受けるものですから、一人で少し新しいことを知っては自己満足で終わるだけでした。ちょっと悲しい・・・。
なので、少しでもこの三英傑のすばらしい生きざまや歴史上の賢人たちや日本という国がすべての国の中でも長い歴史の間に途切れずにこれたのか、勉強出来たらいいなー、と思い私のように歴史好きだけどあんまり詳しくないような人が楽しめるような動画とかブログで楽しんでいただけたらと思いやっていこうと思っております。
全国の人があまり知らないようなそんな史跡を見つけてご紹介していこうと思っております。
2つの合戦地?桶狭間へお散歩!
まず、桶狭間古戦場公園に行きました。
桶狭間の戦いは永禄三年五月十九日(1560年6月12日)に駿河の守護大名である今川義元公と尾張の織田信長公との戦いです。
名古屋市さんたら、名古屋城の天守閣を作り変えようとしてるだけあって力の入り方がすごいです!
それは。。。。。。。。
ご存知の方も多いと思いますが、スマホなのどのアプリを使いQRや風景を撮影すると色々なムービーなどを楽しめたりするものなのです。
お城や砦の配置がジオラマ形式で公園内に配置されており、アプリをかざしてその時の状況や、戦況を解説またはドラマ説明をしてくれました。
ジオラマの風景は義元公の首洗い池を利用しながら公園内に川が流れ、お城や砦にみたてた石が建っており、本当にすごい所です。
こんな素晴らしい施設が公園として開放されていて感動させられてしまいました。
ARジオラマの全体図です。
看板にARラボをdLしたスマホなどをかざすとところどころにあるARの看板の中から絵が動きだして説明してくれるんです。
心なしか、今川義元公の声がニヒルに聞こえた私なのですが^^;
皆さんもぜひにAR劇場試してみてください!!面白かったですし、感動します。
実際にスマホを片手に訪れているかとも多かったです。
まだまだほんとはあるんです。。。。。
動画では一日で回ったみたいに編集してあるんですが、実は不慣れすぎて、何日も通っては少しづつとった動画をつなぎ合わせては編集してあるんですね。
形にするのは少し大変でした。
熱く語っておられる方々が、またボランティアの案内の方でしょうか?
ここでは歴史の楽し気な会話がっ繰り広げられておりまして、私は歴史好きは一人じゃないと心の中でガッツポーズをしておりました。
それから桶狭間で散策しておいしいものもご褒美に食べようとたくらんだのですが、何しろすべてが初めてのことなので「動画とってもいいですかー?」「動画載せてもいいですかー?」と聞くことが恥ずかしくって恥ずかしくって、もうそれだけで大変だったんです。
史跡もわかりにくいところが結構ありまして、と言いますか・・・桶狭間の今川本陣といわれる場所は大体の場所なので一つではないし、今川義元公が討たれたという場所も一つではないわけです。
史跡も調べれば調べるほどいろいろありまして、もう頭の中が大混乱になっておりました。私のからっぽの頭の知識に皆様の温かい情報を入れていただけたら、たぬきはうれしくて仕方あるまいりませんです。
是非、ご指摘、情報などお待ちしております。
この七ツ塚は今まで知りませんでした。
衝撃を受けました。
まるで絵本のような知識だった私に合戦とは生死であると改めて叩きつけられる史跡でした。
写真も撮ったのですが、載せるのはやめさせていただきます。
七つも穴が必要だったと考えますと、戦死者がどれほどいたのかと想像できてしまいます。
合戦とはきっと血生くさく、心痛み、悲しみでしかなかったことでしょう。
現代における戦争と同じで悲劇でしかないように思えます。
しかし、この戦で日本の歴史が変わったのは絶対です。
この戦がなかったら、平和な江戸時代はなかった事はぜったいです。
最後に★
松平元康こと徳川家康公は今川軍の人質であり、今川軍に絶対服従の家臣でしかなかったわけですから、天下取りに踊りだすなどとは、その当時誰も想像できなかったのではないでしょうか?
江戸時代がなければ大政奉還もなく、海外の国に日本という国が植民地化していた可能性のほうが大きく私には思えるのです。
江戸文化がなかったならば、日本における寺子屋などの教育もなかったように思えますし、賢い日本人達が生まれていったように思っているのです。
というわけで、私たぬきはこの桶狭間の合戦は思い入れの深い史跡であります。
来年の春に大学受験をする子の親でありまして、パート勤めに主婦業もこなさなければならず、頻繁な更新と動画だしは専業者のようにはできないと思いますが、私なりに時間を節約しながら頑張ってやっていきたいと思っております。
最後までご覧いただきましてありがとうございます。
長くなりますので、次つづくでお願いします。
お散歩動画もぜひご覧くださいませ。